佃の漁民は、幕府に献上した魚の残りは日本橋などで売り、売りものにならない雑魚は塩や醤油で煮しめて保存食にしていました。それが次第に評判になります。鉄道も自動車もなかった時代、人や貨物の移動は水運が頼りで、江戸湊は全国から集まる船舶で賑わっていました。渡航の安全を祈って住吉神社に参拝した船乗りたちが「佃煮」を買い求めたことで、全国に名前が知れ渡り、「醤油などで煮しめた小魚」を指す一般名詞になりました。